【もっとTokyo】満腹!抱腹!粋な東京散歩。米木で夕食の牛鍋を堪能後、バスガイドの案内で浅草寺裏駐車場に戻り、バスに乗り込み、東京駅丸の内南口への移動映像1です。
【もっとTokyo】満腹!抱腹!粋な東京散歩。東京駅丸の内南口への移動映像2です。
【もっとTokyo】満腹!抱腹!粋な東京散歩。東京駅丸の内南口への移動映像3です。
車中ではバスガイドから以下のアナウンスがありました。
・浅草仲見世通りでは、ホオズキ市が開かれます。
・入谷の真源寺(しんげんじ)では、7/7の七夕の3日間にアサガオ市が開かれます。
・「恐れ入り谷の鬼子母神」について。
・バスは入谷インターチェンジから首都高速に入りました。
・上野駅には石川啄木の歌碑がある。
・上野公園、西郷像、アメ横、上野動物園、美術館。
・秋葉原、戦後の闇市から始まった。昭和30年からの家電ブームで今のようになった。
・アニメの町、アイドルの町、おたくの町。修学旅行の観光地。
・メイドカフェ体験など。
・本町は薬品関連の町。
・兜町は株の町、東京証券取引所。
・最近は丸の内、大手町へと分散。
・川底道路、元築地川
・東京には京橋、新橋と橋のつく地名が多い。
・昭和39年の東京オリンピックのために高速道路が建てられた。
浅草寺で毎年7月9日と10日に開催される「四万六千日・ほおずき市」は、浅草の夏の風物詩です。この両日は四万六千日の縁日であり、縁日にともなってほおずき市が催されます。平安時代頃より、観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになったそうです。功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指します。浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けています。このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれます。境内には約100軒のほおずきの露店が出店し、夜遅くまで賑わいます。ほおずきの実を求める人で賑わったそうです。境内は朝から晩まで参拝者で埋まり、観世音菩薩の功徳に感謝して参拝し、ほおずき市を散策して江戸情緒を味わいましょう。
「ほおずき」とは、ナス科の一年草または多年草で、日本原産の植物です。6月から7月頃に小さなクリーム色の花を咲かせ、その後、六角状の萼(がく)の部分が発達して果実を包み袋状になります。熟すとオレンジ色になり、萼が赤くなります。日本在来種のホオズキは観賞用として栽培され、普通は食用にされることはないそうです。
平安時代は、日本の歴史の時代区分の一つで、794年から鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指します。この時代は、京都におかれた平安京が、政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称されます。広義では、延暦3年(784年)の長岡京遷都からの約400年間を指します。通常、古代の末期に位置づけられるが、中世の萌芽期と位置づけることも可能であり、古代から中世への過渡期と理解されています。平安時代は、日本独自の文化や政治体制が育った時代といえます。
室町時代は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代を指します。この時代は、1336年から1573年までのおよそ273年間にわたりました。室町時代は、南北朝時代の後期から始まり、戦国時代の前期まで続きました。この時代は、公家文化と武家文化が混ざり合い、室町文化が生まれました。また、この時代には、日本独自の文化や政治体制が育ちました。
「四万六千日・ほおずき市」は、毎年7月9日と10日に浅草寺で開催される縁日の一つです。この縁日は、平安時代頃より、観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになったそうです。境内には約100軒のほおずきの露店が出店し、夜遅くまで賑わいます。ほおずきの実を求める人で賑わったそうです。
入谷にある有名なお寺は「真源寺(しんげんじ)」です。真源寺は、法華宗本門流の寺院で、鬼子母神を祀っています。また、7月の七夕の前後に当寺院の境内で、入谷朝顔市が開かれることで、入谷の名物であることはもとより、東京下町の夏の訪れを伝える行事として、全国的にも知られています。
真源寺は、東京都台東区下谷にある法華宗本門流の寺院です。寺名の由来は、創建者である日融が、光長寺の高僧であったことから、光長寺の山号である「仏立山」にちなんで名付けられたとされています。真源寺は、1659年に日融によって建立されました。また、真源寺は、鬼子母神を祀っていることで有名です。鬼子母神は、仏教を守護する神さまであり、真源寺の境内で、七夕の前後に開催される「入谷朝顔市」でも知られています。
「法華宗本門流」とは、日蓮を宗祖とし、日隆を派祖とする日蓮門下の一派で、日本の宗教の一つです¹. 本門流は、南無妙法蓮華経を信奉し、法華経に基づいた教えを説いています¹. 本門流の大本山は、本能寺、本興寺、徳永山光長寺、長国山鷲山寺です¹. また、本門流は、本門八品上行所伝の南無妙法蓮華経を本尊としています。本門流は、日本の歴史において、室町時代に成立しました。
「鬼子母神」とは、仏教において、天部の一尊である夜叉女神のことを指します。鬼子母神は、仏教を守護する神として信仰されており、日本でも多くの寺院で祀られています。
また、「鬼子母神」は、インドの伝説に登場する鬼神槃闍迦の妻で、多くの子供を産みました。しかし、その性質が暴虐で、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。お釈迦様は、その過ちから鬼子母神を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の鬼子母神の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。このことから、鬼子母神は、仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となったとされています。
「天部」とは、仏教において天界に住む神々の総称です。天部は、仏教の教えや諭しによって心を改め、仏法の守護神となり、民衆には福をもたらす福神となる存在とされています。天部には、梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆などが存在し、貴顕天部と武人天部に二分されます。
入谷朝顔市は、毎年7月6日から8日まで開催される、日本最大の朝顔市です。この三日間は入谷鬼子母神を中心として、言問通りには120軒の朝顔業者と100軒の露店(縁日)が並び、毎年約40万人もの人出で賑わっています。
「入谷朝顔まつり」は、江戸時代後期から行われていた朝顔市が起源とされています。明治時代には衰えましたが、大正2年に復活し、現在では60年以上の歴史があります。
「あさがお」とは、ヒルガオ科の蔓性の一年草で、夏に花を咲かせる植物です。日本では、古くから観賞用に栽培されており、夏の風物詩としても知られています。
石川啄木の歌「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」は、上野駅を歌ったものではありません。この歌は、啄木が故郷の岩手県に思いを馳せた歌で、故郷の訛りを懐かしみ、人ごみの中に訛りを聞きに行く様子を歌っています。
上野駅には、石川啄木の歌碑があります。この歌碑は、1985年に建立され、石川啄木の詩「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」を刻んでいます。 この歌碑は、15番ホームの車止め前にあります。
石川啄木は、1886年に岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市)に生まれた日本の詩人・歌人です。啄木は、浪漫主義の詩人として頭角を現し、満19歳で最初の詩集を刊行しました。また、社会主義への関心を深め、文学評論も執筆しました。しかし、結核により満26歳で亡くなりました。
石川啄木の代表的な作品には、以下のものがあります。
上野駅は、東京都台東区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅です。山手線北東部のターミナル駅であり、多数の在来線や新幹線、地下鉄路線が乗り入れます。上野公園や上野動物園、国立科学博物館などの観光スポットが近くにあり、多くの人々が利用する駅となっています。
上野駅は、1883年に日本鉄道の駅として開業しました。以来、多数の在来線や新幹線、地下鉄路線が乗り入れ、山手線北東部のターミナル駅として機能しています。
上野公園は、東京都台東区にある日本最大級の都市公園です。公園内には、東京国立博物館、国立科学博物館、恩賜上野動物園、上野の森美術館などがあります。また、公園内には多くの桜の木が植えられており、春には多くの人々が訪れます。
上野公園は、明治6年に日本で初めて公園に指定された都市公園です。
上野公園にある西郷隆盛像は、明治31年に建立されたもので、高村光雲が制作し、後藤貞行が犬を制作しました。
西郷隆盛は、日本の幕末から明治時代にかけて活躍した政治家・軍人であり、薩摩藩の下級藩士出身です。啓蒙思想に基づく近代化を進める一方で、反乱を起こし、自らの信念を貫き通しました。
「西南戦争」は、1877年に西郷隆盛をリーダーとする鹿児島県士族による最大最期の士族反乱のことです。
上野には、多くの美術館があります。以下は、上野にある主な美術館です。
上野の美術館には、企画展やイベントも多数開催されています。各美術館の公式サイトで、最新情報を確認することができます。
「アメ横」とは、東京都台東区にある商店街の通称です。主に御徒町駅から上野駅までの高架下と高架の西側の約500メートルのエリアを指します。このエリアには、ファッションや食料品、スポーツ用品などのお店が約500店舗並んでいます。
アメ横は、値引き交渉ができることや、専門店ならではの品揃えにも注目されています。また、年末には鮮魚や加工食品のたたき売りが風物詩となっています。
アメ横は、戦後の物資不足の時代に飴を売る店が集まったことから「アメヤ横丁」と呼ばれるようになりました。やがて、米軍物資や舶来品を売る店が集まり、アメリカ横丁とも呼ばれるようになりました。
以下は、アメ横に行く際に留意すべき点です。
以上が、アメ横に行く際に留意すべき点です。ご参考になれば幸いです。
上野動物園は、東京都台東区にある日本最古の動物園で、約300種3,000点の動物を飼育しています。園内には、ジャイアントパンダやレッサーパンダ、ゴリラ、象、トラ、ライオン、キリン、シマウマ、ペンギンなどがいます。
上野動物園には、4頭のジャイアントパンダがいます。オスのリーリー、メスのシンシン、そして2021年に生まれた2頭の子どもである、オス・シャオシャオとメス・レイレイの双子です。
上野動物園は、1882年に農商務省所管の博物館付属施設として開園した、日本で最初の動物園です。1886年には宮内省所管になり、1924年には皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して、東京市に下賜されました。
上野動物園は、戦争中に猛獣処分と呼ばれる悲しい出来事がありましたが、これまで上野動物園は「生きた博物館」として世界各地から集まったさまざまな動物を展示してきました。
秋葉原は、東京都千代田区の秋葉原駅周辺に位置する、日本有数の電気街であり、アニメやアイドルなどの「オタク文化」の発信地としても知られています。秋葉原には、電化製品やIT製品の店舗が多く集まっています。また、ゲームやマンガ、アニメに関するショップが集まるサブカルチャーの拠点であり、人気アイドルやアニメキャラクターなどのコスチュームに身を包んだ「コスプレイヤー」の聖地とも呼ばれています。
秋葉原には、多くの観光スポットがあります。以下は、秋葉原にある主な観光スポットです。
以上が、秋葉原についての情報です。ご参考になれば幸いです。
秋葉原は、江戸時代には下級武士の家が建ち並ぶ町でした。明治時代に東京の北のターミナル駅である上野駅から鉄道が延伸され、秋葉原駅ができ街が発展していきました。現在の秋葉原の原型ができたのは第二次世界大戦後で、闇市がたち、1951年の露店整理令によりそれらの露店が鉄道のガード下に収容されたことがきっかけで、電気街として発展しました。
「秋葉原」の名前の由来は、古くから残る「秋葉神社」の名前が由来になっているようです。江戸時代初期には中山道の宿場町として栄え、昔から多くの人や物が行き交う街でした。そこから世界的に有名なポップカルチャーの発信地となるまでに発展してきました。その歴史と現在までの変遷を見ていきましょう。
明治政府が約9000坪の火除け地をつくり鎮火社を創建しました。鎮火社の御祭神は、火産霊大神(ホムスビノオオカミ)・水波能売神(ミズハノメノカミ)・埴山比売神(ハニヤマヒメノカミ)の3神。しかし当時の人々は火防信仰で有名な秋葉大権現がこの鎮火社に祀られていると思い、「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶようになりました。いつしか鎮火社の呼称は「秋葉神社」、火除け地の呼称は「秋葉原」となりました。
秋葉原は、家電量販店や電化製品の個人商店が立ち並び、海外からも多くの観光客が訪れます。また、パソコンからゲーム・アニメに発展して現在の姿になりました。小さな個人店舗が時代の最先端を走ってきたのが秋葉原の特徴です。だからこそ街の新陳代謝がどんどん進み、「秋葉原に行けば新しい物と出会える」という街になったのでしょう。
「兜町」とは、東京都中央区にある地名で、かつては日本の金融街として栄えた場所です。現在では、東京証券取引所や東京証券会館があるほか、金融機関が同じ東京都心の丸の内や大手町といった一等地に建てられた最新のオフィスビルに事務所を置くようになったことから、金融街とは呼び難い街に変貌しています。
「兜町」は、江戸時代初期には大名屋敷が立ち並び、明治維新後には第一国立銀行本店や東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立され、商業(金融)の街へと急速に発展していきました。
「東京証券取引所」は、株式会社日本取引所グループの子会社で、日本最大の証券取引所です。東京証券取引所は、企業株式を中心とする有価証券が売買される現物市場を受け持っています。また、日本の株式市場の代表的な指標である「日経平均株価」の算出にも関与しています。
1964年に開催された「東京オリンピック」に向け、首都高速道路の建設が進められました。1962年には都心環状線が開通し、1964年には羽田空港と都心部、そして選手村が置かれた代々木までの31.3kmが開通し、オリンピックを成功に導いたのです。また、大会期間中には、首都高速道路の交通料金が割引されたり、通行制限が実施されたりするなどの取り組みが行われました。
都心環状線は、東京都区部を巡る首都高速道路の環状線の一つで、全長は約14.8kmです。築地川は、東京都中央区を流れる二級河川で、東京湾に注ぐ川です。築地川区間は、都心環状線の一部として埋め立てられた部分があります。
「川底道路」とは、川や海などの水域の底をくぐって建設された道路のことを指します。日本には、東京湾を横断する「東京湾アクアライン」や、神戸市と淡路島を結ぶ「明石海峡大橋」など、いくつかの川底道路が存在します。ただし、川底道路は建設費が高額であるため、一般的には橋やトンネルが選ばれることが多いです。
「首都高速道路」は、東京都区部とその周辺地域にある都市高速道路で、首都高速道路株式会社が維持・管理等を行っています¹. 1959年に設立された首都高速道路公団によって建設が始まり、1962年に都心環状線が開通しました。その後、環状6号線と都心部を結ぶ8本の放射線、そして1環状線からなる総延長約71kmの道路が建設されました。
東京には、多くの「橋」のつく地名があります。例えば、東京都中央区には「八重洲」という地名がありますが、これは「八重洲橋」に由来しています。また、東京都港区には「虎ノ門」という地名がありますが、これは「虎ノ門橋」に由来しています。他にも、「芝浦」、「三田」、「新橋」、「品川」、「大井町」、「木場」、「月島」、「清澄白河」、「錦糸町」、「小岩」、「亀戸」、「葛西」、「江戸川橋」、「神田川」、「神田橋」、「水道橋」、「飯田橋」、「神楽坂」、「本郷」、「上野」、「谷根千」、「浅草橋」、「吾妻橋」、「両国」、「霞ヶ関」、「麹町」、「半蔵門」、「市ヶ谷」、「四ツ谷」、「信濃町」、「飯田町」、「後楽園」、「本所吾妻橋」、「本所」、「木場橋」、「東陽町」、「清澄」、「深川」、「木場東」、「木場公園」、「東雲」、「豊洲」、「有明」、「新木場」、「青海」、「竹芝」、「芝浦ふ頭」など。